Moral Hazard!!

ドラマーが音楽やホームページやガラクタを作るよ。

自宅スタジオ製作!~第零章~

1 Comment DIY,Music

「スタジオ作ればええやん」

きっかけは、当時バンドで使っていたスタジオ店長の言葉だ。

僕らが練習で使っていたのは、神戸三宮にある部屋が二つしかない小さなスタジオで、大学を出て部室を使えなくなった(卒業して暫くは後輩に迷惑な先輩として部室使っていたが)僕らは、昼夜問わずそこを利用していた。
スタジオ店長はご多分に漏れず古いロックが好きで、よく店のテレビはThe Whoやローリングストーンズのビデオが流しっぱなしになっていた。

僕はどちらかというとセンスや感情などという言葉が嫌いで、

「なぜ、そうなのか」
「どうしてこうなるのか」

にはきちんとした理由と理論がないと納得出来ないタチで、(そのくせドラムスタイルは感情に任せて叩くという難物なのだが)そのため「分かる人」「説明できる人」を妄信的に崇拝する。
そして当時Cubaseという音楽制作ソフトを買ったばかりの僕は、Pro Tools全盛の時代にCubaseを使っているスタジオ店長から、バンドの休憩時間や個人練習の合間に色々教えてもらうのがとても楽しみだった。

スタジオは結構狭くて、ドラムを全力で叩くと他メンバーから「シンバルがうるさい」と苦情が来る。
加えておそらく自分の耳も将来的に心配なので、ミュート(シンバルにガムテープなどを張って消音する)する。
そして練習するたびに

「Bさん(店長)すみません、ガムテープ貸してください!」

と店長にガムテープを借りまくっていた。
実際に僕がガムテープを使う量は半端なく、正直僕一人でほとんどのガムテープを消費していたにも関わらず、Bさんはいやな顔一つせずに「ほいほい」とも「はいはい」ともつかない返事で、黒いガムテープを貸してくれた。

ある時、個人練習でドラムを叩いていた日、

「ドラムって損ですよね~。練習するのがまず大変なんて他の楽器に比べたら凄くハンデですよ」

僕は当たり前の不満を店長にぶつけていた。
実際どこのバンドでも「ドラマーが脱退」というのは一番多いと思うし、一番聞く。

「なんでドラマーはよく脱退するのですか?あのバンド好きだったのに」

とか質問されることがあるが、僕もドラマーなので困った顔しか出来ない。

話がそれた。

「最近後輩から古いドラムセットを安く売ってもらって、ミニキットを作ってみたんですよ。親父の会社の倉庫に寝てますわ。」

相変わらずどうでも良い事をくっちゃべっている僕に店長が言う。

「じゃあスタジオ作ったらええやん。そんな完全なものじゃなくても、ドラム叩ければいいわけやし。」

そうか、無ければ作るか…それを聞いてさっそく親父に相談する。
実際にスタジオを自作する事は可能なのか?

「作れ。」

意外にも親父はノリノリで、作業工程も金額も労力も考えないまま、僕は工場二階の倉庫を整理始めた。

数ヵ月後、荷物の山だった倉庫に何とかドラムセットが置けるようになり、シンバルや太鼓に布を巻きつけて消音しながらドラムを叩くことが出来るようになった。

何の空調も無い倉庫は暑さと湿気と埃で悲惨な状況だったが、ドラムを叩くという快感はその全てを帳消しにしてしまう。
汗だくになりながら音がならない自分のドラムに酔った。

そうやってひと段落したある夜、ギターのアキヒロから電話がかかってくる。

アキヒロ「Bさんが亡くなりました。」

??

余りにも突然の電話に訳が分からないながらも、こういう時は何故か冷静。
事情と御通夜などはどうなるのかを聞く。

「僕も~~から聞いた話なんですけど、御通夜は実家が~~県なので、そちらでするようです。スタジオはオーナー?が開放してくれているらしくて、縁のある人は明日の晩、スタジオで別れを惜しんだりするそうです。」

「ほな明日ちょっといこか。」

あまり現実味を感じないまま、次の日の夜、スタジオ前でアキヒロと待ち合わせる。
スタジオに足を踏み入れると、知っている人も知らない人も、怖い人も年下も、私服も喪服も色んなジャンルの人が集まってダベっていた。

普段のスタジオにあるまじき人口密度の高さに居心地の悪さを感じながら、そこでバイトをしていた某さんを見つけて事情を聞く。
刺青バリバリのおっかない見た目なのだが気さくな人で、飄々と事の顛末を語る。

「そこで亡くなってたらしいから、みんな缶コーヒーとか花とか供えてるけどな。ちょっと手合わせていってやってくれるか?」

言われたとおりに手を合わせ、スタジオを見て回る。
おそらくスタジオはもう閉店になるだろうし、われながらどうかしているが、Bさんと話していたスタジオの防音材の貼り方を見ていたかったこともある。

「まぁ後日どっかのバンドから連絡あると思うけど、遺品っていうか、音楽的なものについては親類方の好意で形見分けされるかもしれんからな。」

某さんに言われ、別にいるもんないわ…とか思いながら帰る直前、ふと思い出した。

「あ、某さん、ガムテープ、もらっていっていいっすか?他は結構ですので。」

某さんは理解に困る顔をしながら、

「?それくらいやったら今持って行っても構わんやろ。(ミキシングルームに入って)ほれ、これでええんか?」

「ありがとうございます」

正直Bさんが亡くなったのが何月だったかさえ、覚えていない。

僕がアノ人と交わした言葉で一番印象に残っているのが

「ガムテープ貸して下さい。」

「ほいほい。」

であり、使うのが供養かな?と勝手に考えつつ、もらったくせに部屋に置きっぱなしのためなかなか減らないガムテープを見るたびに、なんだか間抜けていて良いなぁと不謹慎ながらも思ってしまうのだ。

そして僕はスタジオを作った。