Moral Hazard!!

ドラマーが音楽やホームページやガラクタを作るよ。

ゆめであえたら

7 Comments マジ話

「記事のカテゴリ、『パソコン』と『駄日記』の2種しかないのは何故?」

うん、いい質問だね、やっちんです。
でも君のせいで僕のバレンタインデー・テロが成った。
くらえ!第三のカテゴリ、「バレンタインデーなのに『マジ話』」!!!

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本日、泣いた。

正確に言うと「気がついたら泣いていた」なのだが、朝起きるといい年してしゃくりあげるくらい泣いてた。

勿論泣いていた原因は夢にある。

夢にじいちゃんが出てきた。

この爺ちゃんは中々の孫煩悩で、何かと理由をつけてはばあちゃんと一緒に色んなところに僕ら兄弟を連れて行ってくれた。
とてもユニークな人柄で、子供の頃はそのしゃべりに大いに笑わせてもらった。
彼は若い頃かなり男前だったらしく、そのせいで色んなトラブルを引き起こしていたそうだ。
日本人だが大陸の引き上げ組で、よく
「よく行くバーに台湾の美人さんがおってな、あっちには美人が多いぞ~!」
と力説しているのを聞いては、子供心に「この人は酒と女の人が好きなんだな」と認識していた。
まぁそういう人だ。ここでは書けないような事もあった。

が、思春期。
反抗期とはちょっと違うかもしれないが、あるとき急にじいちゃんが嫌いになった。
自分が大人になるにつれ、彼があまり立派な人に見えなくなってきた。
男子校育ちの僕は若干女性が苦手なフシがあり、女性に対して積極的だった(と聞かされた)じいちゃんが、いやらしいような節操無いような、そんな風に映った。
そして自分がその血を引いていて、そうなるかもしれないという不安。
いつしか、たまに家にくるじいちゃんに冷たく当たっていた。

晩年のじいちゃんは、家に来ては僕の後をついて周り、昔話をして泣いていた。
高校生の僕には
「素面なのに、聞いてもないのに、なんで思い出話ばかりして泣いているんだろう?」
と不思議に思いながらも、当時バブルで両親が髪を振り乱して働いている間家を預かる「鍵っ子」として洗濯物を干しながら適当にいなしていた。
忙しいのに邪魔だな、とさえ思っていた。

じいちゃんは死んだ。

震災で焼け出され、ばあちゃんと死に別れた後住みだした新開地のマンションで臨時の一人暮らし、ある時家を出ようとして転倒、そのまま半身不随になって入院、肺炎を併発してのあっけない最後だった。

死んだその日、僕は神戸でライブをやっていた。
訃報を受けた時にも「あぁ、死んだんだ…」
くらいしか思わなかった。

葬式。

死に顔は穏やかだった。
元気だった頃の遺影と比べるとあまりにも痩せこけていて、思わず
「長い入院生活お疲れ様。」
これくらいは頭によぎった。それだけだった。

葬式に人は来るが、どの人も焼香だけあげて帰っていく。
母は「ゆっくり思い出話でもしていってください」と用意した食事を勧めるのだが、皆忙しいとそそくさと式場を後にしていった。
確かに事実だろう、皆忙しいのだ。たかがひとり人が死んだくらいでは葬式の行き帰り2時間を消費するのが関の山だ。
が、何度となくそのやり取りを見て、なんとなく故人の生き方、つながりの薄さを感じた。
この感じじゃ、晩年は寂しかっただろう。勝手に推測した。

ばあちゃんが死んだ時はとてもとても泣いた。
事情により血縁でもない爺ちゃんの義理の姉である「ばあちゃん」が一番僕を可愛がってくれていたからか、僕はそのばあちゃんを非常に慕っていた。

勿論じいちゃんとのいい思い出も沢山ある。悲しい思い出もある。
その大好きだったばあちゃんが震災で死んだ時、(ばあちゃんの)懇意にしていた寺から「死体であふれとるから」と棺桶の一時預かりを拒否された。
震災時の混乱でしょうがないのだが、じいちゃんは「この寺には沢山寄付したのに!」と憤慨しながら、知人の工場のガレージに棺桶を一晩置く事になり、ばあちゃんっ子だった僕は家族が帰っても棺桶から離れたくなくて、工場に泊まった。

「亡くなったばあちゃんがちゃんとあの世に行けるように、その暗闇の足元を照らすろうそくは絶やしたらアカンねん。」
とじいちゃんは一晩中ろうそくを変え続けた。

うつらうつらしながら、それでもばあちゃんに成仏して欲しくてろうそくを変えるのを手伝った。
婆ちゃんが死んだのは震災から二日後なのだが、何故か毎晩空が赤く染まり(何故か毎晩火事)、殺人やレイプの噂が飛び交い、北斗の拳と見まごうような廃墟、隣のペタンコのビルはまだ人が埋まってる、そんな極限状況でも朝が来たら眠ってしまい、気がついたら合同葬式場にばあちゃんは運ばれていた。

この年になって考えると、やはり人間である以上欠点はあり、魅力もあり。
そういう意味では爺ちゃんはとても人間らしい人だったように思う。
僕が単純にもう少し優しくしてあげれたら、この人はもう少し幸せに逝けたのかもしれない。
ただ、そう思うことはあっても、後悔と言うほどは日々意識していなかった。

話がだいぶそれたが、夢の話だ。

今朝の夢で爺ちゃんが出てきた。
余り記憶が定かではないが、爺ちゃんが僕宛てに句を紙に書いて贈ってくれた。
内容は前半が爺ちゃんの生年月日、他何か生きた証となる何かの数字が羅列してあった。
後半は「やっくん~~」と僕へのメッセージが書いてあったと思う。
悲しいかな夢なのでメッセージの内容は覚えていないが、未だにその句を思い出すだけで涙が出る。
何故かは分からない。恥ずかしいことに書いてる今もそうだ。
文体も季語も無く適当な数字と文章なのに、何故ソレを「句」と認識したかは、婆ちゃんが生前俳句を詠んでいたからだろうと思い、部屋にある句集に目をやる。タイトルは「絵扇」。

僕は霊や占い、宗教の類は一切信じない。
親戚が寺だが、宗教なんてものはただの文化と道徳と思想の塊だ。聖書に至ってはギャグを交えたファンタジーだ。大好きだが信じてない。
占いなんてホットリーディングとコールドリーディングの成果を楽しむエンターテイメントだ。
スピリチュアルなんとか等に躍起になってる女とだけはつきあいたくない。
文句があるならアウストラロピテクスの幽霊を連れて来い。

そんな僕に今回じいちゃんが来て、以前ばあちゃんが夢枕に立った。(死んで2日後くらい)
ばあちゃんは夢でいつも使っていたカメラを渡してくれて、爺ちゃんは句を贈ってくれた。

「最近病んでないですか?」

と心配してくれる人もいるが、大丈夫。
煮詰まる事も多いが、酒も飲まない、ほとんど泣かない、ストレスを発散出来ない僕のために、彼らが涙を用意してくれた。