Moral Hazard!!

ドラマーが音楽やホームページやガラクタを作るよ。

シンバルが2つバッキバキ

No Comment 駄日記

沢山のバンドが出演するイベントではありがちなんですけど、前日のライブ会場のシンバルが2つバッキバキに割れており、マイシンバルがこないだ割れた為持ってこなかった僕は、その割れたシンバルを鳴らそうと力いっぱい叩きまくったところ、10年ドラムをやってきて初めてマメができました。

「水も滴るいい男~」

と宿で炙った安全ピンを突き刺して水を抜く姿を見たものは、生きてはいない。

いや、そんなことはない。

こんにちわ、断言ブームやっちんです。

さて、渋谷ハートアタック後夜祭とかいうデカダンなライブが行われるということで、冷やかしに行こうと思いまして。

渋谷に出る時間があまりにも早すぎて、楽屋に侵入しても誰もまだいなかったので、時間つぶしにスーパーエッシャー展を見に行きました。

エッシャーといえばだまし絵!
というわけでだまし絵以前の版画とかもう無視して、いきなりメジャーなだまし絵を見に行こうとしたんですが、むしろ版画が凄かった。

なんせ僕は確固たる技術により生み出される芸術が大好きで、ロックを説いてるヤツなんて全員死ねとか思ってますから、エッシャーの版画の技術、緻密さ、挑戦、探究心、そのどれもにどっぷりはまりました。
今回公開されたエッシャーノートや沢山の習作、技法が確立されるまでの作品などを見ると、インスピレーションを得るためにどこまで出来るかってのも天才を定義する一要素なんだろうなぁ~。なんて思いました。

そもそも身近すぎるところ(親)に天才がいるので、自分が天才と認められる人間はわずかなんですよね。「天才シンガーソングライター」とか年に何度も出てくるフレーズとか見たら笑ってしまう。(もちろん認める人もいる)

「スペックとしての天才」ではなく、「生み出す天才」ってのはね、自分の色んなものを犠牲にしてそれでも飽き足らず、周囲を巻き込んでしまう存在なんですよ。
それが正の方向か負の方向かはたまた性の方向(あながち)に転ぶか、それはとても危ういところなんですけど。
(そういう意味では僕は天才の被害者!むしろ被験者!?)

あんまり天才天才って書いてたら天才って字がゲシュタルト崩壊を起こして、今自分でもびっくり。

でもなんで「スーパー」エッシャー展なんでしょうね。
スーパーサイヤ人みたいでどうもね。

で、会場の上の喫茶店でやってたエッシャー展記念スイーツ食べました。

このセンスが最高!

というわけで、後夜祭のことなんてこれっぽっちも触れてませんけど、文が長くなっちゃったので、これにて。

(おっしゃー!)