神戸出身ですと言うと、必ずと言っていいほど
「震災大変でしたね」
と言われる。
その度に僕はなんと言っていいか分からくなり、苦笑いしか出てこない。
1995.01.17
一応大学受験という大きい目標があるにも関わらず、親に
「あんたが勉強机に向かっている所、見たことないわ!」
と言われるくらい勉強しなかった僕はこの日この時刻、やっぱり寝る子は育っていた。
am 05:46
目が覚めたきっかけは揺れだったか、音だったか。
いや、水だ。
高校生の僕はふとしたことからあぶく銭を手に入れ、枕もとに90cmの大きい水槽を置き、熱帯魚を飼っていた。
突然の揺れから漫画のように水槽を飛び出したであろう、90cm×45cm×45cm容積のほとんど、約150Lもの水は、望んでもないのに僕の体全体をくまなく潤す。
「!?」
まさに寝耳に水の状態でたたき起こされたが、まだ夜明け前の部屋は真っ暗。
経験したことない激震により部屋中がひっくり返っていくのが音でしか分からない。
部屋の外、おそらく声の位置からキッチンあたりで家族が叫んでいるのが聞こえる。
母「地震や!外に出なさい!」
弟「机の下の方が安全や!」
飛び交う声からパニックになっているのがよく分かる。
その中で自分がなぜ比較的冷静に周囲を伺っていたのか。
それは暗闇の中、よく分からない天変地異により水槽が割れ、ガラスが部屋中の床に飛び散っているんじゃないか?と思うと尋常じゃない揺れの中でもすくんで動けなかったからである。
親父が声をかけてくる。
親父「やっちんは?どこや?」
僕「びしょぬれや!水槽が割れて動けへん!」
親父「布団を地面に敷いてすぐ出て来い!」
人間非常時の行動に本性が出る。
この年頃(高校生)の僕に大きな反抗期がなかったのは、おそらくそうした場面に直面した時、両親がその都度息子の尊敬を勝ち取る行動を取ったからだと思っている。
家族全員の無事を確認後、まだ揺れに揺れる階段を走りながら、ひらけた駐車場まで避難。
まだまだ大きい余震が続く中、駐車場に集まる人たちはもちろん皆寝巻き姿で、1月の夜明け前に震えていた。
僕はと言えば、前日初めて買ったビンテージレプリカのGパンを嬉しさのあまりはいたまま寝るというアメリカ少年もびっくりの奇行のために、びしょ濡れのTシャツ&Gパンというあまりにわけの分からないスタイルで周囲の同情を買っていた。
震災2に、続く。
(さてなんでこの時期に震災の話なんて持ち出すんでしょうか~?)