Moral Hazard!!

ドラマーが音楽やホームページやガラクタを作るよ。

冬来たりなば歩く、歩く。

No Comment 駄日記

こんばんわ、髪を切ってパンチパーマを当てたらなんか凄く幼くなっちゃったっぽいです、やっちんです。

地元で切る時に行く美容院は駅で言えば3駅分離れており、歩いていくにはちょい遠い。
でも最近運動不足なのと、住んでる街がどう変わったか知りたくて、何より車が廃車になっちゃったもんで、歩いていくことにしました。

夕方5時。
天気は良かったが、日も暮れて冬の到来を感じるには絶好のシチュエーション、家を出る時刻だ。

先月東北地方に行ってから身に付いた
「自分が思っているより一枚多めに着る」
という習慣を自嘲しながら玄関のドアに施錠する。
昼間は小春日和だったというのに、もうその優しさの片鱗すら見せない夕方。
ゴールである美容院まで時間にして約40分か。
早足で家の前の階段を下る。

普段なら車で出発2分後に通り過ぎるコンビニまで10分弱かかる。
ここで軍資金を下ろす。
入るときに気づいたのだが、自分のカッコが全身黒ずくめのちょい怖いカッコウだったので、出来るだけ爽やかな顔をしてATMの方へ。

キャッシュディスペンサーは開いてた。
ポケベル全盛時代、同級生から「女子高生よりも早い」と言わしめたキーパンチング能力をしてマッハでお金を下ろす。
正確にはマッハどころか1分ほどかかっているのだが、これがその時の僕の気分を表すものだと理解してほしい。

コンビニでつかの間の暖を取った後、いよいよ美容院へ舵を取る。

今歩いているは普段から車で走っている道なのだが、10何年前に整備されてから歩くのは初めてだ。
ここがまだ街も開発されてない山道だった頃、右手には池があってフナが1日で50匹は釣れた。
イモリも何十匹も捕まえ、ザリガニにいたっては自分の足の親指と人差し指で捕まえるという必殺技まで編み出していた小学生時代を思い出す。
特に冬には例外なく雪が積もって、三人兄弟で山向うの街に遊びに行った帰りは大変だった。
遅くまで遊びまわるもんだからすっかり暗くなって雪も降って、眠い心細いとぐずる弟をなだめながら山道をひたすら歩いたものだ。

そんな記憶の底から湧き出る思い出をかみ締めながら、早足で坂を上る。
小学生の頃の一歩とはもう違う大人の足幅だ、たちまち20年前と変わらない店達を追い越していく。
全然変わらない質屋、存在を微塵も知らなかったコインランドリー。
僕にとっては見飽きた景色に隠れてた新しい発見だ。
温故知新とは大仰な言葉か。

歩き続けて20分強、顔と耳が寒さでピリピリと痛み出す。
やはり帽子を持ってきたほうが良かったか…?
工事現場のおっさん達は既にフル装備。手をこすらせているその中にはカイロを忍ばせているだろう。

つるべ落としも間に合わない冬の太陽がほぼ沈む5時40分弱、ようやく目的地の美容院に到着。
早速上着を脱いで髪についてあれこれやるも、普段あまり髪の毛をいためない僕は、パーマとカットで2時間を要する。
パーマ待ちの暇な間、壁にかかった絵に目をやると、以前六本木で見に行ったルノアールの「舟遊びの昼食」がかかっていた。

あ、そうだ、バアちゃんの家に寄って帰ろう。
僕は普段バンドマンという浮き草職業であるがために、親戚の食事会にはタイミングが合わず参加出来ない。その絵を見たらなぜか美容院の近くにある祖母の家に寄る気になった。

襟足のパーマが可愛いなぁ~…などと若干意味の分からない感想に浸りながらつま先は祖母の家の方角へ向く。

外は完全に夜になって、フードをかぶらないと辛いくらいの冷気が顔を襲う。
町を歩く人も少なくなり、風も強くなり、でも建物は煌々と灯っているそのギャップが妙に足取りを軽くする。
若干スキップ気取りで歩いていたらものの数分で祖母の家に着く。

チャイムを鳴らしてインターホンに自分の名を告げる。

祖母「あらら、ちょうど今貴方のことを話していたところなのよ。」

偶然僕が以前持って行った関東土産の話をしていたらしい。
ここでは普段親戚の集会に顔を出さない孫不幸者を非常にもてなしてくれる。

「カニ雑炊たべ!」

「イチゴもあるよ!」

「松茸ご飯あったわ!」

出てくる順番に若干の疑問を抱きつつもありがたく呼ばれる。

バアちゃんが台所でバタバタしている間、ジイちゃんはこないだ行った三度目のマレーシアの話をしだす。
しかしこの間2回の入院を繰り返し、余命がどうのとか言ってなかったか。

じいちゃん「パスポート再取得してな。次は海南島(ハイナントウ)に行くって言ったらバアちゃんに怒られたわ!」

ジイちゃんは腎臓を患ってるのだが、最近話を聞いていると、もはや何か達観しているというか、解脱しているというか。
普段からこの二人は結構軽く「死」を口にする。
「死んだらチョモランマの山頂から撒いてくれ、黄河に流してくれ」
「今年死ぬ予定ですけど、大連(中国)行って来ます」
「あと2年は生きますわ」
しかしそこには何の悲観的な響きも含まれない明るさがあり、むしろ自分の人生の終着点をどう締めくくるのが良いかを模索しているような気すらする。
もちろんこの肉親がいなくなれば僕は悲しむ。
でもなんかその時が来ても、すぐにその存在を糧にして、前を向かって歩けそうな気がするのだ。偉大な祖父母だと思う。

「幽霊みたいやろ?」
じいちゃんが笑いながら出してくるマレーシアでの記念撮影写真を見ながら、今日歩いてきた道の寒さを語る。
それにジジババが昔の道の記憶を添えてくれる。

僕が車で走り出した10年前の道。

プラモデルを買いに出た20年前の道。

赤子の僕を連れて母が歩いていた25年前の道。

まだ車道すらない僕もこの世にいない30年前の…道。

 

この日見た、変わらぬ店達、変わる景色。
普段の運動不足も多少解消出来て、歩くのって良いなぁ~…と改めて感じた。
これからも機会があればぜひ歩いてみよう、知らない町も歩いてみよう!

そう思った。

 

 

 

帰りは車で帰った。

(だってオカンの仕事の帰り道だったんだもん)