昨日のツボ
「なぁ、クロッカスってどんな花なん?」
「だっさい花ですわ!」
こんにちわ、昨日疲れてたのかしれませんが、「花」というものの形容に「ださい」という表現を使われたのが何故かツボで、ずっと思い出してはニヤニヤしてました。最近ちょっと脳がおかしい。やっちんです。
いや、その時は「花はただ一生懸命咲いてるだけなのに、人間美醜価値観を押し付けるなんておこがましい。小さい花は主張より調和が大事な事を教えてくれ、一見地味に見える花にも凄い機能美が備わっていたり、春に芽吹き夏に盛り秋には育み冬には次代へ譲る生々流転を感じさせてくれる。そんな自然の叡智「花」に対して神をも恐れぬ表現!」だなんてことを、実は微塵も思いませんでただ面白かっただけです。なんで面白かったんだろう?
話は変わるような変わらないようななんですけど、幼虫って大体グロイじゃないですか?
どっかで何かの幼虫を見かけたときに抱く感情は9割5分「キモイ!」じゃないですか?
「幼虫はただ一生懸命生きてるだけなのに、人間美醜価値観を
でもね、僕は何故かカブトムシの幼虫やアゲハの幼虫は平気なんですよ。
アゲハの幼虫なんてすっげぇグロイですよ。ヴィヴィッドな緑に目玉みたいな模様がついてて触るとこれまたヴィヴィッドなオレンジの触覚が出てきてそれがすっげぇ臭いを出します(臭角という)。
それでも平気なのはおそらく、「カブトムシは将来黒くて堅くてカッコいい成虫になる!アゲハは美しい翅を持つ美人へと生まれ変わる!」という脳内補正が働いてるからじゃないでしょうか?
つまり、僕が今不美人である貴方にも優しくすることは、なんら不思議ではないのです。
美しくなってください。身も心も。
(不細工がえらそうなこと言ってる)