旅立つきっかけ。
友人がイギリスに転勤になったので、アジア圏を出た事がない僕はなんとかしてヨーロッパへ行きたいと5月頃から探していたのだが、なんだかんだで決まらず7月に。
というのも5月に母方の祖母が亡くなったり、3万人規模の某チャリティロックフェスのサイト製作がピークなど仕事もバタバタしていて、何かと忙しかった。
で、葬儀を終え、7月頭に一段落ついた母が
「ヨーロッパに行きたい」
と言い出した。
これは渡りに船だ!&親孝行でもしようかという事で、近々でいけるツアーを探すが全然ない。
インターネットで探した結果、フランス&ドイツの旅8日間に決定。
往復の旅券とホテルのみ。
立地的に難しいモンサンミッシェル以外のツアーは申し込まず、自分で探す事にする。
ICE(ドイツ特急)の乗り放題ジャーマンレイルパス、フランスのミュージアムパス、ご飯など決める事が沢山あったが、何せ出発日の19日に、過去最大の台風が日本列島を直撃するという事で、切符が買えない。
(もし飛行機が欠航になったら3万円する切符が無駄になる)
前日、予定を考えたり仕事を前倒したりでほぼ徹夜。
家を出発。
6時5分、MK乗り合いタクシーに乗り込む。
8時、関西国際空港到着、チェックイン。
なんとか飛行機が飛びそうで安心する。
関西国際空港からオランダアムステルダムのスキポール空港まで、フライトは12時間20分。
台風のため、若干早めにフライト。
飛行機が宙に浮く瞬間、「フゥ〜!」隣の母が軽く叫ぶ。
中学生か。
進路は一旦北の方へ。追いかけてくる台風から逃れるためか、新潟上空を通過して徐々に西へ。
最初の方は揺れていたが、そのうち落ち着いてきたので、マッハで寝る。
2時間ほど経過、昼ご飯はチキンを選択。
割と美味い。
一度寝て起きた後、昔頂いたダウンタウンガキの使い罰ゲームのDVDを見て過ごす。
さらに寝て9時間くらい経過。
時差バリバリ(8時間)なので、現地時間ではまだまだ昼間だけど、軽い晩ご飯を食べる。
トマトとほうれん草のパスタ。
KLMオランダ航空、飯が美味い。
出発してからずっと昼間なので若干面食らいながら外を眺めると、コペンハーゲン上空。
街が点在。
快晴のため、陽光を受けてため池や湖が輝きとても奇麗。
12時間のフライトの後、オランダはスキポール空港に到着。
乗り換えの間に、空港に入ってくる飛行機を眺めながら、チョコレートカフェにてお茶をする。
こうやって並べたらなんだか斜めに写真がずれているんじゃないか?と錯覚するようなデザインのティーカップと生ホワイトチョコレート。
お洒落だけど決して美味くない。
トランジットでパリに向かう飛行機が来るまでの間、向かいの席ではしゃぐフランス人チャイルド相手に顔芸で時間をつぶした。
オランダ時間で17時20分(日本時間で24時頃)、パリに向かって飛び立つ。
飛行機はフランス語が飛び交い、前後席の体臭が徐々に体力を削ってくる。
「落ち着け、日本人である僕たちも、きっと味噌臭いはずだ!お互い様だ!」
と自分に言い聞かせ、耐える。
台風の日本とは打って変わって天気のいいオランダの空から見た町並みは、リアルシムシティだった。
(凄い可愛い)
KLMオランダ航空パリ行き。窓から自分の荷物が載せられていくところを見る
現地時間19時過ぎ、パリに到着。
送迎のタクシーはなんだかベトナム系のお兄ちゃん。
高級な電気自動車でのお迎えは良いんだが、このドライバーも含めてパリの車、全員運転荒過ぎ。
一回人を轢く直前までいってた。(人までの距離20センチくらい)
20時、ホテル着。
今回の旅はフランスの治安に不安があったため(ドイツはなんとなく安心出来るイメージ)、お金を払ってホテルのグレードをあげたのだが、それでもあまり奇麗では無い。
日本人丸出しの僕が求めるホテルは何よりセキリュティなのだが、楽勝でオートロックではない古い鍵。
良く言えば古き良きヨーロッパの建物って感じ。
調度品は確かに渋い。あと部屋がとても広い。
パリの宿は狭いと聞いていたので、グレードをあげると部屋が広くなるということか。
セーフティボックスを使おうと思ったらデポジット30ユーロで鍵を貸し出しなのだが、借りた鍵を差し込んでもセーフティボックスが開かない。
何度試しても開かないので、フロントに「開かないぞ、開け方を教えてくれ」と聞くと、怪訝な顔で
「Why?」と聞き返してきやがった。
こっちが聞いてるんじゃい!
若干イライラしながら左に回すんだと言われた通りに回しても全然開かない。
コノヤロウ・・・と思いながらもう一度開かない旨をフロントに伝えにいくと、この中華系のフロント、僕が行くなりいきなりデポジットの30ユーロを突き返してきやがった。
まずてめえの設備が壊れてるかどうか、チェックぐらいしろや!
若干不愉快さを感じながらも晩ご飯に出かける。
飛行機疲れもあって、近くのムール貝推しの店に入る。
入るなり「コンバンハ」と黒人に声をかけられる。
フランスに居る間中、一度も中国人に間違われた事がなかった。
母は「品があるからじゃない?」などと笑っていたが、いやホント、彼らは本当に品がない。
ただ町中で見かける日本人はみんな小さくなって歩いてた。
ずっと静かで、食事などウェイターを呼ぶときだけいきなり大きな声で
「Excuse me!!」
たしかにこっちの人はびっくりするかも。
とりあえず「自分の意志を伝える」攻めの姿勢で行く事を誓う。
料理はあまりおいしくはなかったが、黒人ウェイターが逐一日本語で
「イタダキマスー」
「オイシイ」
と聞いてくるのがなんかよかった。
会計はテーブルチェックが基本のようだが、「チェックプリーズ」と言うとウェイターではなくフロアマネージャーみたいな人が請求書を入れた皿を持ってくる。
そこにお金を置くと、ウェイターが今度は自分の財布!?からおもむろにお釣りを出してくる。
自分の国にチップの習慣がないので渡し方が不細工になるが、感じのいい黒人ウェイターに1ユーロほど渡しておいた。
フランスは日が長いので、夜8時、まだ明るい。
なので町中を軽く散策、フランス革命でギロチンが置かれてブルジョワが処刑されまくったコンコルド広場あたりまでをうろうろした。
町中にはコンビニも少なく、自販機なんて全くないが、どこにでもカフェがあり、どこででも老若男女がお茶をしていた。
風呂に入って明日からのパリ観光に備えて寝る。
こんにちは、昨日はなんか一日車を運転してたんですけど、車の運転席って何で全部硬いパーツなんでしょうね?
一つでもおpいやマシュマロのような柔らかいパーツがあれば、運転のストレスでイライラする時に揉みしだたり出来ますやん?
無理な追い越しとか割り込みとかされても、ハザードスイッチの横に一つ、おs熟したモモのような柔らかいパーツがっていうか突起があれば、落ち着けますやん?
車産業に関わってる人間が、そんなスイッチの一つも考え付かない時点で、技術大国日本は終わってるわ!
ブンブーン!
・・・こんにちは、こないだの某社沖縄旅行に連れて行ってもらったときに、レンタカーのお店のカーシュミレーターで遊んでいたら、本当に次の日車をぶつけたやっちんです。
いやレンタカー同士でちょっとコツンとやっただけなんで大事無かったのですが、もうほんと穴が会ったら出たり入ったり出したり入れたりしたいですし、何より参加していた皆さんから弁償代をカンパして頂いて事なきを得たものですから、しばらく某太陽と虎と某バンド×2には頭が上がりません。
つうわけで、その某社沖縄旅行の旅行記を書かせて頂く事で少しでも罪滅ぼしになれば・・・。
ちなみにこちら、普段は真面目なライブハウスです。
つか毎日車を運転してても、疲れてたら運転しちゃダメね。
(酒飲んでは絶対運転しませんけどね)
友人の群馬国民が「群馬いいぜ群馬!」とプロモーションしてくるので、彼プロデュースで群馬国水上に行って来ました!
観光ビザで国内に入ってすぐに向かったのは、
「日本一地下にあるもぐら駅」
としてマニアには有名な「土合駅」。
無人改札をくぐって奥に入ると、先の見えない階段・・・。
脇には壁から染み出す水。
ひぃこら言いながら降りる。
階段を降りていく間、二組ほどの人とすれ違った。
お互い
「しんどいですね!」「まだまだ長いですよ!」
と登山のノリで挨拶していく。
街で知らない人とすれ違っても、知らん振りなのにね。
一番下のホームへ到着。
暗い。不気味。
看板と名所案内。
勿論こんなところで電車待ってる人なんて、いない・・・。
一番下から見上げた図と、案内看板。
この階段、全部で462段あるんだって・・・。
駅舎とホームの高低差は、70.7メートル。深すぎやろ。
下りた階段は登らねばならぬ。(車で来てるから)
10段おきくらいに今の段の数が書いてある。
階段終盤は窓があるのだが、何の気なしに外を見ると、野生のサルが!
見えづらいけど小猿も含めた群れが一つ、川を上っていった。
土合駅では、SUICAは使えません。
なんかやたら励まされる。
登りホームは駅舎からすぐ近いんだけど、下りの注意書きがイヤ過ぎる。
・・・
土合駅を出て、谷川岳の展望台へ。
登山ブームより前から登山が好きだったと譲らないわれらが登山チームの下見を兼ねて、ロープウェイに乗ろうとするも、
「今日は展望台が完全に霧で、何にも見えないよ。」
と受付のオバちゃんに言われて、断念。
ロープウェイでは地産の野菜がたくさんあって、それらを使った食堂がある。
正直観光地の食堂には期待していなかったのだが、
まいたけそば、馬ーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
じゃない、美味。
素揚げのまいたけがそばに入ってるだけなのだが、これが激烈美味い。
上の写真は撮影者(僕)が食べ物の撮影が下手なためあまり美味そうに撮れていないが、もし谷川岳ロープウェイに行く事があれば、是非まいたけそばを食べて欲しい。
日帰りでこれる距離だったら、絶対にお土産にしてた。まいたけ。
ロープウェイから少し車で走った何にも無い広場に、サルの群れがいた。
勿論野生。
ただ登山者に餌付けされているのか(エサやっちゃダメ!)人を怖がらない。
あまり近づいても危ないので、遠くから撮影しておいた。
車でしばらく走って、紅葉の名所、奈良俣ダムへ。
いや・・・関西人なんで、知らないです・・・。
残念ながらここはまだ紅葉があまり始まっていなかったが、迫力の高低差に、ダムマニアも満足。
岩清水を求めて、さらに山奥のドライブウェイへ。
さすが群馬国の山奥、水が綺麗。
ただ寒い。余裕があれば魚の採取を行いたいところだったが、とにかく寒い。
そして山の上のほうに行くと、見慣れたいわゆる紅葉(もみじ)ではない紅葉が見られる。
これはアリだな、と。
そして吹割の滝。
すみません、関西まではその名前、轟いてないっす・・・。
大自然の神秘を感じまくる。
いい感じに適当感がある観光名所。
マイナスイオンたっぷりの滝たち。(似非科学)
しかし!ここまではゴキゲン観光だったのだが、一転して雲行きが怪しくなる!
「当地のドライブインは無料になっておりますので、お食事お土産などは、協会加盟店でお願いいたします。
お食事お土産のご利用の無い方は、駐車お断りいたします。」
なんだとう~?
さっき車で走ってるときに、
「滝に一番近い無料駐車場!」
と自信満々に書いてたじゃないか!
日本国ではそれは無料とは言わないんだよ!「利用者無料」って書くんだよ!
ここは東南アジアか!?(そういうのよくある)
さて、観光地ならではのモヤモヤ感をたっぷり頂いたわけですが、本来の旅の目的を忘れてはいけません。
群馬国水上にまでわざわざ来た訳は、
お、なんだあの黒煙は!?
・
・
・
テッテレー!
キター!機ー関ー車ーだー!
黒くて太くてたくましい機関車様は、一旦僕の前を通り過ぎてバックしてくる。
そう、水上は期間限定でSLの王様「D51」が走って転回する、転車場があるところなのだ!
転車台(電車を回転させるところ)にゆっくり入っていくD51。
たくましい黒煙と、しなやかな白煙が!噴出す様は圧巻!
もんすごい煙。
機関車を載せて、転車台が回り始めます。
さいたま交通博物館の転車台(復元)では駅員さんが手を振ってくれますが、こっちは仕事。
実際に走る機関車なので、一生懸命です。
かっけぇかっけぇマジかっけぇ!
正面から見てもマジ脚気!(ジャガイモばっかり食べてるから)
まんなかが汽笛を鳴らすところ。
あーもうこのビッグマグナム黒岩になら、抱かれてもいいわ!
黒と赤のコントラストがセクシー。
デフレクター(除煙板)も超セクシー。
僕は特に色んな機関車のデフを見てるだけでも絶頂できるタイプの人間です。
同じ趣味の貴方へ、wikiのデフのリンク、貼っておきますね!
休日の超田舎なのに、人がたくさん。(よそにはびっくりするくらい人いない)
石炭わっしょい、頑張る。
さて、このD51は期間限定で走っております。
今回こうやって群馬国くんだりまでやってきたのは、元々、最近のニュースで大好きなブルートレインがどんどん廃車になっていくを見て、
「乗れるうちに、乗りたいものに乗っておこう!」
と思い立ったのがきっかけです。
昨今の鉄道ブームから、座席の予約が取れるかどうか心配だったのですが、実際に2週間前にJRに電話したところ、
「まだ200席以上空いてますよ!」
と言われて拍子抜けしました。
とういうのも、最近駅員に暴言吐いたり他の客に迷惑をかけたりする阿呆には
「撮り鉄」
が多いらしく、撮影するためにホームにでかい三脚を立てているけれども、電車には乗らないそうです。
機関車なんかも、実際にはあまり早くないので、まず駅に着いた機関車を撮影して、そのまま他の特急にのって現地に、もしくは撮影ポイントに先回りしてカメラパシャパシャやってる人間が多いようです。
勿論そんな人間ばかりではありませんが、実際に線路に立ち入って危ない撮影をしている人間を何度も車窓から見ました。
ファンの行為が、その対象の存続を危険に晒しているってのは情けないですね。
なにも鉄道に限った事ではないですが。
さて、閑話休題。
普通の電車も走っております水上駅。
でも、時間がかかってもこのD51に載るのが僕のジャスティス!
あぁもう抱きしめたい。(火傷します)
煙もシュー!
このセクシーな曲線!
人差し指でなぞりまくりたいですね!
出発時間が来て走り出した機関車、片道2時間(うち途中の駅で小休止して撮影する時間まで用意されてる)のあいだに、スタッフのお姉さん達による「じゃんけん大会」があります。
搭乗者全員でじゃんけんして、勝った人には記念品プレゼント。
3回チャンスがあって、クリアファイルやらなんやらもらえるのですが、その中に
「D-51ケータイクリーナー」
があるのを知って、すみません、
ガチで勝ちに行きました。
2時間ほどゆられたのち、高崎駅へ到着。
お疲れ様でした。
ワタクシ、男三兄弟で育ったものですから、「姉」や「妹」に非常に憧れておりまして、異性の兄弟姉妹がいる人達ってそれが恋愛対象にならないのかなぁ・・・?と常日頃から疑問だったのですが、
「女ってのはな、男親に似るんだよ
ようするに親父似なんだよ
顔が親父の面影ありまくりな女に欲情するか?」
この文章でようやく理解できました。無いわ。
こんばんは、やっちんです。
さて、先日富士山に登ってきたわけですが。
三回目の登山ともなると、もう富士マスターと呼ばれてもいいんじゃないか?
とか思いますけど、現実には全然そんな事無くて、今年も失敗だらけでした。
以下に箇条書きすることで、来年おそらく攻めの姿勢で富士に臨むであろう自分に釘を刺しておきます。
・登山時間を長く長く取る。
富士山は標高の高さから高山病になりやすく、それを防ぐためにはとにかくゆっくり登る事が大切。
ご来光を見るために昼に登山を開始して夕方山小屋に宿泊する場合、夕方6時には山小屋に着いておきたい。
そのためには、昼12時には五合登山口に着いて、1時間は高度順応のための休憩を取りたい。
例えば神戸から出て富士宮、須走などのルートの場合、御殿場ICで高速を降りてからも1時間くらいは走るので、午前3時には出発しないと焦ることになる。
実際には午後8時を超えても山小屋は泊めてくれるが、早く着きたいがために登山を焦ると、間違いなく高山病になる。
・山小屋では耳栓、アイマスクを。
山小屋での宿泊は基本的にタコ部屋に詰め込まれる。
足も満足に伸ばせないスペースで、他人と布団を共有し、うるさい人が近くにいようものなら地獄。
どうせ標高が高くて呼吸がしんどく、寝づらいのではあるが、体力を回復させるという行為の重要さが後の9合目で身をもって理解できる。
・おやつ、水は必要以上に持たない。
初年度はおやつを1.5キロ持っていって1キロ余らせた。
今年は水を3キロ持っていってドラゴンボールの修行みたいになってた。(手足に重りを着けて戦うみたいな)
おやつはバカスカ持って行っても疲れで取り出すのも面倒だし、水は高い(500ml500円)が、基本的に1合毎にある山小屋で買えるので、荷物として持っていくくらいなら買ったほうが良い。
・着替えはとにかくシャツ。
昼間の登山は地獄の猛暑。
とにかく速乾性に優れたシャツを持っていかないと泣く。
標高があがるにつれて着替えるのが大変になり、着替えが多くなれば荷物が重くなる。
夜は極寒。登山渋滞では冷えて死ねる。
衣服に金をかけるかどうかが生死の分かれ目。
長袖(日焼け防止)のドライシャツとフリース、高品質のゴアテックス上着上下があれば良い。
雨に降られると、コキュートス(地獄最下層)
安物のゴアテックスは水が浸みた。
濡れた後に冷えると手足が動かなくなる。絶対ジッパー付きの服。着替えが大変。
ちなみに今回はユニクロの1000円のドライシャツを買ったが、去年の普通Tシャツとは段違いに楽だった。
・砂走りで体力を使い果たすな
須走口の帰りのお楽しみ、砂走りは楽しいが、その下にある山小屋「砂払い五合」はゴールの五合登山口とはだいぶ離れている。
全力疾走した後に木の根に足をとられたくなければ、体力は残しておく。
・カメラケースは腰に固定
今年は1眼レフを持っていったが、カメラジャケットで保護しつつ首からぶら下げて、いつでもメンバーの素敵な表情を撮るぜ!と意気込んだのもつかの間、登山の間中首から提げたカメラが僕にボディーブローを食らわせてくるので、結局リュックにしまい、撮りたいときに取り出せない羽目に。
来年はウエストポーチで腰に固定する予定。
以上、教訓でした。
こんにちは、富士山に行ってきました!(高速SAのお土産の名前の体で)
やっちんです。
2年前から富士登山を行っており、毎年悲惨なめにあいながらも、6月ごろには
「今年は何日に行く?」
行く前提で話題が上る我らが富士登山ドMチーム。
登山ルートを選んだり、宿を予約したり、交通にかかる時間、費用、めんどくさいこと山盛りなのですが、なんだかんだで毎年の楽しみになっており、また、過去二回の登山では満足する登山にならなかった(初年度は雨と霧と豪風が凄く、気がついたら登山、登頂、下山が終わってた。二年目は夜中に暴風雨に会い撤退)ためにリベンジに燃えていたと言うこともあり、準備はバッチリ整えました。
今回登るのは「須走口」。
5合目から6合目まで緑が多く、下山道には「砂走り」と呼ばれる砂で出来た斜面をすべるように下りることが出来るルート。
宿泊は本八合にある「胸突江戸屋」。
初年度からの参加メンバーであるキック(某ライブハウスのパンクス照明)から
「出来るだけ高いところで宿泊して、ご来光を拝みたい」
という意見を聞き、ここに決める。
須走ルートは他の登山ルートと比べて人気が少ないせいか、2週間前の予約でも部屋は空いていたが、人気の吉田口のルートの宿は全部埋まっていた。
近年富士登山がブームで、あまりにも人が詰め掛けるために、登頂付近では登山者渋滞が起きる(酷いときには1時間数メートルしか動けないとか)と聞いていたため、人気の無いコース、そして平日を選んだ。
宿からは「午前中からの登山をお勧めします」と言われていたのだが、なにしろ関西からの遠征であるため、登山口につくまで8時間ほどかかる。
天気を見て簡単に日を変えるなんてことも出来ない。
当日まで、ひたすら晴れることを願っていた。
・
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当日、快晴。
午前5時に神戸三宮は生田川IC前に集合。
メンバーは6人、いずれも普段不摂生ばかりの音楽関係の人間ばかり。
朝の渋滞に巻き込まれないうちに高速に乗る。
12時ごろ、最後のSA,富士川サービスエリアにて昼食を取る。
ここからは富士山が見えるのだが、バンド時代にツアーで通りがかったときはいつも見られたのに、富士登山の時はいつも雲に隠れて見えない。
ヤツはかなりのシャイだ。
13時過ぎ、富士山須走口5合目登山口に到着。
天気はまずまず良し。
時間が遅いせいか、思ったほど登山客は多くない。
ここで14時まで着替えたり高度順応して過ごす。
14時、登山開始。
長時間車で過ごしたストレスから開放されてか、皆の足取りも軽い。
しかし、富士山は普通の登山と違い、とにかく「高山病」が天敵。
ゆっくり登る以外の回避法が無いのは、初年度に高山病を患った者としてよく知っているので、とにかくゆっくりあることに努める。
雨は降りそうに無いが、山自体が雲に巻かれているため、涼しいけど太陽光は注いでこない、一番登りやすいスタートだ。
最初は石で出来た階段、次に広めの登山道、そして木の根っこが出てくるなど、順々に険しくなっていく。
ほかの登山コースと違い、須走ルートは植物が豊富で、苔フェチとしては緑のビロードに満足しながら歩く。
出来るだけ汗をかかないペースで、ゆっくり。
急に視界が開ける。
すると見慣れた荒涼とした岩肌。
まだまだ元気なnamidacoat秋山(初参加)。
高校時代はサッカー部だったというそのいでたちが頼もしい。
僕はといえば高山植物に夢中。
僕のブログですが、僕はまったく写っていません。
霧(というか雲)とは抜きつ抜かれつで進んでいく。
初年度はあまりの濃霧で体が濡れて冷えて大変だったが、今年は心地よいミスト感覚。
風が強くて片側にしか葉がない木々。
だんだん天気が良くなり、上のほうも見渡せるようになってきた。
雲の上に抜ける。
遠くを見れば、雲の先に街が見える。
一番高い雲と同じくらいの位置にいるようだ。
このあたりで頂上が見える。
写真右下にコラージュのように写っているのが、チームのペースメーカー、今村。
この5,6日富士山に登った後、いったん神戸に帰って7日には東京でライブといういかれたスケジュールを組んだ。
見晴らしが良くなると俄然登るのが楽しくなる。
遠くに色んな形の雲があるなぁ・・・なんて見とれていると、
気が付いたら間近に接近していてびびる。
雨雲だったら上からのみならず横から下から雨に叩かれて悲惨なことになる。
長い5合目を抜け、6合目の山小屋にて休憩。
携帯が入るのでみんなしてブログやtwitterに夢中。
秋山、登山者が焼印を入れて杖にする、金剛杖を買う。
この山の大きさに比べたら、人の大きさなんてほんとゴマみたいなもんです。
秋山、「杖、邪魔っすわ!」かばんにしまう。
以後、このでかい棍棒が非常に登山の邪魔になる。
日が傾き、「影富士」が現れる。
おそらく日本一大きな影であろうこの姿に全員、感動。
某ライブハウス照明の「"抱かれたい"女性no,1」、キック。
初年度では高山病は平気だったのに、富士の余りに凄い斜面を見て3D酔いして吐いた経歴の持ち主。
山中湖がとても綺麗に見える。
時間とともに影富士はどんどん大きくなってくる。
この時点ですでに5時を過ぎている。
山小屋に着く時間が心配になりながらも、高山病対策のため歩速を上げられない事にやきもきする。
7合目あたりで、さすがに疲れが見え始める。
マジックアワーに差し掛かるころ、最大になった影富士は、ぼやけ始める。
20時ごろ、ようやく本八合目の「胸突江戸屋」に到着。
一人が高山病にかかったため、チームから衣類や水を集めて、休ませる。
ほかのメンバーは晩御飯、カレー。
高地なため、呼吸が浅くなり食が進まない。深呼吸をすると途端に心臓がバクバク言う。
皆なかば無理やりカレーを胃に収めるも、秋山のみペロリと平らげた挙句、人の残したカレーにまで手をつけてさらに山小屋の晩御飯メニューを眺めていた。
牛丼は1000円、カレーは1500円、水のおかわりは有料、ポカリスウェット500mlが500円、トイレは有料100円。(宿泊者以外は200円)
寝所はタコ部屋に押し込められて布団は二人で1枚。
基本寝るというよりは仮眠所。
どこの宿でもこんな感じで、高所の宿ほど値は上がる。
富士山ではブルドーザーで荷揚げし、水の沸点が頂上で88度と低いため、調理が難しい。
なので、物価は勿論高いし、サービスなんて求めてはいけない。
ここ胸突江戸屋さんは寝るとき足を伸ばせたし、高山病にかかった人間にも親切でした。
むしろ客の方がずうずうしい人間が多く見えた。
メンバー全員川の字になり、無理やり寝る。
途中何度も目が覚めては、軽い頭痛に「高山病にかかったんじゃないか!?」と心配になりながら、起床時間を待つ。
富士山頂上でご来光を拝むためには、この本八合を2時に出ないといけない。
というのも、この本八合で「吉田口」「河口湖口」の登山客と合流するので、登山者渋滞が起きるためだ。
近くにいたおっちゃんの話では、地元静岡の新聞では毎日「今日は100メートル」などと登山渋滞情報が出て、夜中の登山風景の写真が掲載されるらしい。
真っ暗な夜に、富士山の登山ルートにそって登山者のヘッドライトが一列になってなかなか綺麗なのだ。
午前2時、準備を整えて宿を出る。
もう吉田口から来たツアー客でごった返して凄い人の量になっている。
本八合登山口まで人があふれ、ツアーコンダクターがあちこりで
「~~ツアーの皆さん~ここで休憩しますー」
「~~さんは大丈夫ですかー?みんないますかー?」
と叫びまくっている脇を通って、登り始める。
噂には聞いていたが、平日にもかかわらずものすごい人で、なかなか先へ進めない。
月明かりでみえるかすかな頂上への影に向かって、ジグザグの登山道にそったヘッドライトが並ぶ。
とても大きなクリスマスツリーのようでなかなか綺麗だが、登山客の中にはなにかの宗教の修行者がいるのか、あちらこちらから念仏が聞こえてとてもシュール。
午前3時にもなると、あちこちの道端でへたり込む人が増えてきて、ツアー客は渋滞を作り出し、勝手な体力自慢は崖のそばから順番を抜いて登っていき、落石を発生させる。一度本当に危なかった。
もちろん互いに助け合い、ツアー外の人までサポートするツアコン、譲り合う人たちもいる。
富士9合目は、人間の本性が見えるところなり。
むろん、われらがチームはきちんと助け合えるチームなり。
ただ、人ごみの中どうしても離れるため、確認のためにお互いの名前を呼び合うも、
「よそのように、うちもチーム名で呼び合おうよ」
という提案に困る。チーム名が無い。
「チーム『狼は生きろ、豚は死ね』、ちゃんといるかー?」
「チーム『棍棒』、ちゃんといるかー?」
毎回適当なチーム名を叫んだが、通じなかった。
・
・
・
渋滞と高所にてメンバー全員疲労困憊。
9合を過ぎたあたりで空が白んでくる。
雲海の向こうに日が昇ってくるのがわかる。
一時はあきらめて9号5勺でご来光を見ようという話にもなったが、最後の一踏ん張りでぎりぎりご来光前に登頂成功。
脱落者なく登頂できたことに感動しながら、日の出を見守る。
ご来光を浴びて赤く染まる日本最高の3776m地点、剣ヶ峰と富士山観測所。
一気にあたりは騒がしくなり、山小屋はみやげ物を売るのに精を出す。
各登山口から集まった人、人、人は皆元気。
登頂すると疲れは本当に吹っ飛ぶ。
完全に日が昇った。
なんかボス敵が出そうな絶景。
朝日を受けて男前はさらに輝く。
沢山の人が、雲の上に立つ。
雲もご来光に照らされる。
現在大絶賛製作中の今村モータースセカンドミニアルバムのアー写が出来る。
後ろになにかが写りこむ。
一息ついて、火口を覗いて、頂上の神社におまいり、お土産を買う。
高山病の症状が出ている人間も増えてきたので、早々に下山を始める。
出発も朝早く、山小屋でもほとんど寝られないため、朝日を受けての下山は眠気との戦いでもある。
事実、暑い山肌で寝ている人間も多数いた。
僕はといえば、砂走りのために温存していた体力をフルに使って砂煙をあげながら走ってたので、写真は以上です。
午前9時ごろ、無事下山。
10時ごろ、須走温泉時の栖「天恵」にて風呂、昼飯、2時間ほど仮眠。
午後2時、帰途に着くころ、雨がちらちら降り始める。
温泉でであったおじさんが、
「ワシはもう50回富士山に登ったけど、満足いくご来光を見れたのはほんの5,6回だよ」
と言っていた。
僕らは3度目にしてようやくだったが、晴天、影富士、流れ星、ご来光、脱落者無し。
今回の富士登山は、100点満点だったと自信を持っていえる、素晴らしいものだった。
帰り道、口々に
「8合目手前がマジでやばかった!」
「9合目で吐いた時はもうだめだと思った!」
などと盛り上がっていたが、僕個人としては、登山なんて屁でもなかった。
帰り道の名古屋で「富士で便秘になったから」と言ってお腹を下すために食べたコーヒーソフトクリームが帰宅直前に炸裂、駐車場から荷物をほったらかして、家までをお尻押さえながら”寄せては返す下痢の波”と戦ってへっぴり腰で歩いた200メートルが一番つらかった。
32歳にもなって漏らすところだった。
来年は屋久島だとか案も出ているが、とりあえずチーム名を決めておこうと、心に誓った。
(終わり)