Moral Hazard!!

ドラマーが音楽やホームページやガラクタを作るよ。

タイ、香港旅行記 〜1日目〜

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旅行初日、朝一番に成田国際空港に向かう。

神戸から成田空港に直接荷物を送る事が出来るサービスが宅配便各社にあるので、それを利用。
空港で祖父入り荷物を受け取り、出国手続き。
荷物の中身を特に聞かれる事もなくゲートを通過出来た。

行き先はタイのリゾート地、プーケット。
出来るだけ美しい海に祖父を流してあげたいということで、プライベートビーチを持つ高級ホテルを手配してもらう。
日本からプーケットへの直行便は週に二度ほどしか出ていないので、この日は香港経由で行く事になった。
成田から香港まで4時間弱。
香港で乗り換えてプーケットまで3時間強。

香港は世界のハブ空港だけあって、とても広い。
ばっちり迷って半泣きになりながらもなんとか飛行機を乗り換え、夕方にはプーケット島に着く事が出来た。
しかしプーケット国際空港は島の北端。
僕の泊まるホテルは南端のラワイビーチ。

夕方5時はとても自動車が多く、さらには交差点がラウンドアバウトと呼ばれるロータリー交差点のため、ものすごい渋滞。
明らかに過積載の水を運ぶトラック、荷台に溢れんばかり人を乗せて走るピックアップトラック(急カーブしたら何人か飛んで逝きそう)、それをすり抜けるスクーターは基本二人乗り。
しかも後部座席はまずヘルメットをしていない。
さらに運転手と後ろの人の間に赤ん坊を挟んで乗っているのも当たり前。
さらにさらにスクーターの横に大八車を溶接して子供が乗っていることもざら。

そんなハイレベルな交通戦争を抜けるのに、空港から1時間ほどを要した。

thailand_hotel

ホテルに到着後、そこかしこにヤモリがいる事に興奮。

大昔行ったバリ島でもヤモリが凄かったことを思い出し、此処が南国である事を実感。
沢山のヤシの木や、そこらに生えているオジギソウに興奮。

しかしさすがに疲れたため、ホテル内のブッフェで晩ご飯を食べて就寝。

hotel

タイ、香港旅行記 〜序章の2、法と習慣〜

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さて、祖父の遺言通り南の海に散骨を行う事にしたわけだが、勝手が分からない。

まず散骨って法的にどうなの?勝手に骨などばらまいて良いの?
日本は?そして外国は?

デジタル世代である僕は早速パソコンを使ってそれらを調べる。

どうやら日本では散骨は刑法上問題ない、というより法律の枠の外らしい。
どこのサイトを調べても、
「社会常識の範囲内で」
「他人に迷惑をかけない程度に」
などの言葉が並んでおり、法に乗っ取って死体埋葬許可が下りたものは散骨しても問題はないようだ。

では外国は?
勿論国によって違うのだろうが、今回埋葬に選んだのは、タイ。
貧乏な僕がカリブ海にまで行く金銭的余裕も時間的余裕も無い事と、自然が美しく温かく、国民が物事におおらかそうなイメージである事からタイにした。
タイでは遺骨を海に流す事を
「ローイ・アンカー」
と言い、割と普通の事らしい。

問題は無いというものの、出国する際に引っかかっても困る。
鞄に入れた骨が見つかって

検査官「これは何ですか?」

と聞かれた際にどう答えれば良いのか?

「祖父です」「骨です。」

どっちでもなんだか問題がありそうだ。
祖父(の骨)だけ出国出来なくなっても困る。
特に散骨する都合上骨を粉にするので、麻薬捜査犬がバカだったら余計に手間取りそうだ。

そんな事を考えていた時に、とある方から

「骨を持ち歩く時には埋葬許可書のコピーを持っていると良いですよ。」

と教わった。
なるほど!と早速祖母に電話をし、コピーをとりに行く事を伝えると、翌朝、親戚が丁寧にも埋葬許可書とそれを入れていた封筒までコピーして封筒作りの内職(笑)をしてくれていた。

祖母は祖父の元気な写真と、現金の入った封筒をくれた。
封筒には
「オプション代金」
と書かれてあり、

「おじいちゃんを連れてってくれるオプションツアーやからね!」

と笑っていた。
このとき僕は改めて、素晴らしい夫婦だ・・・と実感した。

この後、父に祖父を粉末にしてもらい、洋裁の教師だった祖母が作った
「祖父のネクタイで作った巾着」
の中に遺骨と写真、埋葬許可書を入れて祖父埋葬セットが完成した。

タイ、香港旅行記 〜序章、散骨〜

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「ワシが死んだら、どこか温かい南の海、カリブ海にでも散骨してくれ」

晩年の祖父の口癖だった。

この口癖は冗談めかしながらもたまに口走り、場所は
「カリブ海」「ヒマラヤ」「黄河」
など様々だったが、回数はカリブ海が一番多かった気がする。
晩年体が冷えて、夏でも厚着だった祖父だけに、その印象も強かったのかもしれない。

元々海外旅行がとても好きで、自分で起こした会社を早期リタイヤしてからは、祖母とともに百カ国以上の国に旅行していた。
正月や何かのタイミングで祖父の家を訪れる旅に
「〜〜に行って来た。凄く奇麗な街だった」
「〜〜って国は暑くてな、悪いヤツばっかりだ」
など、リアルな体験談を聞かせてくれた。

その祖父が、先日亡くなった。

晩年は癌により腹水がたまって入退院を繰り返していたが、本人が痛みを感じる事は少なかったらしく、苦しむ事も少ないとても静かな最後だった。
あまり周りに迷惑をかける事も無かった。

葬儀も無宗教で坊主嫌いを公言し(うちの母方は寺なのに!)

「死んだら”音楽葬”にしてくれ。お前(僕)はワシが出棺する時に聖者の行進でも叩いてくれ。」

などとふざけていた。
もちろん太鼓一つで聖者の行進など演奏出来るわけも無いのでそれは叶わなかったが、言葉通り四重奏を雇ってクラシック音楽が流れる中で葬儀を行う「音楽葬」を行い、故人を弔った。

祖父は大変公平な人格者で、葬儀には沢山の人がやって来て、泣いてくれていた。
僕はといえば、お通夜で祖父のロウソクを替えながら、久しぶりに集まった兄弟三人と祖父との最後の夜を過ごしたり、何故か葬儀中の写真を撮ったり、直前にやっちん家代表(長男だから)挨拶などを任されて悪戦苦闘していた。普段はろくすっぽスーツも着ないのに。

葬式も終わり、近親者で骨を焼き、小さくなった祖父と対面。骨壷に納め、帰る直前。

忙しさの中で忘れていた、
「ワシが死んだらカリブ海にでも散骨してくれ」
この言葉を急に思い出して、慌てて引き返す。
胸ポケットにしまっていた奇麗なハンカチに祖父を少し分けてもらい、家に帰る。

勢いで「散骨するから骨を分けてくれ」などと言ったものの、勿論今まで散骨などした事は無く、また周りにはそんな経験を持つものはいなかったので、法的な問題や方法などを調べるべく、僕はパソコンを開いた。

群馬埼玉栃木三都?物語

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やぁ、やっちんだよ!
絶好のデート日和だぜ、乗るかいハニー?

とまぁそういうわけで、今回のデートは埼玉県は熊谷から始まりました!
僕くらいの鼻男(鼻よりでかい男子)クラスになってくると、駅を出たらもう車が用意されてますからね。


漢はレア車!
ドアなんていらねぇ!泥除けなんていらねぇ!なんだったらホロもいらねぇ!
フルオープンで埼玉を爆走するぜ!
この時点で車種が分かった君には厚いベーゼと法要もとい抱擁をプレゼントするぜ!
南無阿弥陀~!
(実は人生初めてのオープンカー体験)

素敵男子が素敵車で向かうといえば決まってるでしょ!

ココ、ココ!

もう数日の日記を見て
「やっちん関東で何してるんですか?ナンパ?」
とか聞いてくる貴様!当り!じゃない馬鹿!毎日水族と触れ合ってるんだよ!
さかなくん二号目指してるんだよ!日本淡水魚専門さかなくん目指して発音練習してるんだよ!

「ギョギョー!この女、タイリクバラタナゴだギョー!」


さいたま水族館には、世界で埼玉県のごく一部にしか住まない絶滅危惧種であるムサシトミヨが展示されております。現在でも有志がムサシトミヨを守る会として活動しています。
埼玉の方々、この素敵な宝を未来へ繋いでやって下さいね。

写真はうまく撮れませんでしたが、キュッとしまった尻尾が強烈なラブリー具合でして、水槽を吐息で曇らせながら可愛らしさに悶えておりました。僕が。

そして車は栃木県へ。

かの森高千里が歌った「渡良瀬橋」を見に行く。

やっちん「おいおいそんな名橋見ちゃうと俺も名曲作っちゃうよ?ドラムで。」

とかうそぶきながら向かったその橋は、

微妙。

普通のコンクリ脚の鉄橋でした。
??
これで名曲が作れるとは、森高千里、恐るべし…。ってぐらいに普通の橋でした。
あとでWikiにて調べたところによると、どうも橋から見る夕日の美しさが売りだそうで…。
いやそれも…若干微妙…

そして群馬県の三大名物「空っ風、雷、カカア天下」を求めて東奔西走。
カカア天下は見つからなかったけど、萌☆ERO☆乙女は見つかったぜ!

群馬県(というか高崎市)は何故かスパゲティが名物。
「パスタの街高崎」を掲げる割にはそば屋の数が日本一というおかしな県の晩御飯は、やはりパスタ。
老舗洋食店「アリンガ」にお邪魔してきました。
美味い。そして群馬のパスタの特徴、麺が多い。

そして本日のお目当ての一つ、プリンパフェ!
これもでかい!(自家製)
あぶねぇ!ディナーセットなんかで頼んでたら、食べきれないところだった!
(お土産に持ち帰りプリンを注文しながら)

さて、よくこういう旅行記?を書いてると、

女の影が見え隠れします、やっちんアタシという女を差し置いて誰とデートしてるんですか!ううん言い訳はいらない抱いて抱いて今すぐ抱いて!」

というメールが殺到するんですが、

 

 

 

 

 

男ですから!

30男が二人で水族館行って橋見てカレー食ってパスタ食って足利学校見に行ってプリン食べて夜はくんずほぐれつってますから!この心意気を買え!

というのも、今回連れ回してくれた冒頭に出てきた車のオーナーが、某有名ミニ専門店名物スタッフでして、色んなミニ見まくり触りまくり。

僕はといえばピックアップ型のミニに夢中。
誰か買って!婿に行くから!300万で婿に行くから!

ウホッ、良いエンジン!

いやぁあっちの国は色使いがいちいち可愛いし、デザインもお洒落ですよねぇ~。
勉強になりました。
そうそう、ミニクーパーといえば皆さんあの形を連想すると思うんですけど、冒頭のジープみたいなのもあれ、ミニらしいですよ!日本に数十台しかないそうです。僕は世界に一人しかいないけどね!
(意味わかんね)

つうわけで、ミニクーパーに興味がある人や車好きなんかは
ミニ屋 Ai フラジル
さんのHPなんかを覗いてみたらどうでしょうか?一台買って僕を迎えに来てはどうでしょうか?

とまぁ一日満喫しました武蔵の国&上毛野国。

次は貴方の街へ!?

(ここまでドラム一切無し)

富士山登頂記2

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15日 21:00

自分の身長より狭い寝室にて、就寝。
その瞬間、とんでもない頭痛に見舞われる。

ばっちり頂きました、高山病

鈍器で殴られ続けているような痛みに、布団の中で悶える。
御来光を狙っての起床が午前3時。
とんでもない頭痛により起床はまだかまだかと時計を見るが、全然進まない。
結局午前2時まで不眠でのた打ち回った後、隣で平気な顔して寝ている今村メンバーに写メのフォトライトを浴びせるも無反応。
仕方ないので夜風に当たりに外に出る。
僕らは夕方登山で、仮眠後夜中にご来光を見に山小屋を出発というスケジュールだが、夜中に富士を登ってきてそのままご来光を拝む猛者も沢山いる。
僕がボケっと外で座っていたら、自衛隊が登ってきた。

「休憩準備ー!」

体調らしき人の掛け声とともに通り過ぎていく自衛隊員。
それを見送った後、我が隊のメンバーを起こしに戻った。

16日 03:00

自慢げに山小屋のインターネットドリンク無料クーポンを出して飲み物をメンバーに振舞った後、登頂開始。
夜中&濃霧の中、なめくじのようにゆっくりと登りだす。
正直山を降りたいくらい頭が痛いが、頑張ってふざける。
頑張る方向を完全に間違う。

超絶寒さと暗さと濃霧に、ヘッドライトを買ってくれた父と、バイク用完全防水カッパを貸してくれた母に感謝しつつ、登っていく。
ニットの帽子と軍手が、霧か雲か雨か分からないモノにビチョビチョにされる。
全員疲労の色が濃いが、

「俺は普段から海抜420メートルのところにすんでるから、お前らと違って楽勝だぜ?」

とか調子に乗っていた僕だけが高山病になっていることを知って、恥ずかしくて死にそうになる。
テンション下がらないように、出来るだけふざける。

16日 05:00

登頂成功!
写真の通り物凄い濃霧で、御来光どころか周囲2mが見えない状況での登頂だったが、初心者の夜間登頂脱落者無しという快挙に喜ぶ。
写真左下の男はこの瞬間も頭を鈍器で殴られ続けているが、ふざける。

余りの寒さと御来光の見えなさに、山頂の山小屋が人で一杯になる。
ここで暖を取るべく、各自玉子スープやお汁粉を飲む。

16日 06:00

死火山である富士山頂は火口のふちがすり鉢状になっており、火口を一周する
「お鉢めぐり」
というものがある。
強風時は危険なので悪天候の時は下山するよう勧めされている、そのお鉢巡りに気がついたらチャレンジしていた。
多分御来光が見られなくて登頂の感動がいま一つだったからかもしれない。

が、

 

全然見えない。

そして人が飛んでいくほどの強風。

頂上をめぐる間に「銀明水」や「剣が峰(富士測候所)」、「釈迦の割石」など色々見るべきものがあったはずだが、一切遭遇できず。危うく冥土の入り口に遭遇するところでした。

16日 07:00

下山。

各自ぼろぼろの体を引きずりつつゆっくりと山を降りる。
僕は体力的には全く余裕だったが、お釈迦様に頭を締め付けられのた打ち回りながら下山。

今回の登山はほぼ雲の中霧の中の行動になったが、それでもたまに見られる晴れ間や雲海は、インドアドラマーを感動させるのに十分な威力だった。

山麓の温泉にて疲れた体を癒しながら、次回の計画を話し出すメンバーの姿は、間違いなく山奴隷という名のドMであった。

次は、御来光を!

(おしまい)